今までのキャリアについて(どんな風に考えていたか)
実は、公務員は2つ目のキャリアになります。
- 高校生〜1つ目のキャリア(インフラ民間企業)を目指すまで
-
1つ目のキャリア(民間インフラ企業)〜2つ目のキャリア(公務員)を目指すまで
上記大きく2つの話をしようと思います。
高校生〜1つ目のキャリア(インフラ民間企業)を目指すまで
なぜ、高校卒業後、就職しようと思ったのか
物心ついた時から母に
“「将来こういう風になりたいからその為に大学に行く」のはいいけれど「なんとなく行く」のはやめなさい“
と言われていました。
そのため、将来、何になりたいのかはっきり分からないものの、どんな風になりたいのか漠然と考えていたように思います。
高校生になって考えていたことは、
- 社会人に憧れがある(大学は、サークルに入って、遊んで、人生の夏休みという印象があった。それもいいけれど、何となくもったいないのではないかと感じていた。)
- 大学はお金を払って通うため、自由なお金を手に入れるには、土日はバイトなどをして過ごす形になるが、社会人であれば、平日はお給料をもらいながら色んな経験ができて、土日はのんびり旅行に行ったり、美味しいものを食べたり過ごせる。
- 大学を卒業してもいい企業に入れるとは限らないのではないか。
そんな思いから、高校卒業後は、就職しようと考えました。
就職したいと思うようになってから、行動したこと
高校一年生の夏に、担任の先生に卒業後は就職したいと相談しました。
相談といっても、漠然と、
- 社会にとって、縁の下の力持ちになれるような仕事をしたい
- 福利厚生が充実している会社に就職したい
と話したように思います。
そしたら、担任の先生が、卒業生の就職先を見せてくれて、10年前の卒業生が、インフラ企業へ就職していたことを知りました。
そこから目標は、そのインフラ企業になりました。
その企業に入るために取った行動としては
- 無遅刻、無欠席を目指す(遅刻が多いと印象がよくないと思ったため)
- 成績もある程度、頑張る(筆記試験があると聞いていたため)
- 本来は、高校3年生のための企業説明会に、高校2年生でも参加したいと先生経由でお願いしてもらい、2年生と3年生の2回参加する
当時、企業の採用の担当の方が、「2年生の時から参加していた子だよね」と覚えてくれていて、嬉しかった記憶があります。
また、ご縁があって、その10年前に就職した先輩に会ってお話を聞くことも出来ました。その方のお話や、説明会の内容を聞いて、「やりがいがありそう」「いい人が多そう」と感じ、ますますその企業で働きたいと思いました。
結果、高校3年生の秋ごろ、その企業から内定をもらうことが出来ました。
進学校だったので、みんなが文化祭で楽しそうにしている時は、私だけ必死に就活をしていて、内定が決まったあとは、みんなが受験勉強で遊べなかったので、少し寂しいなと思った記憶があります。
内定が決まったあとも、最後まで学ぼうと思って、卒業まで毎日学校に通っていました。
番外編 部活について
高校三年間はサッカー部のマネージャーをしていました。
入ったきっかけは、校庭を通りかかったら、見学にしてみない?と声をかけてくれて、見学したら、何となく楽しそうだったからという理由です。
(あんまり深く考えていませんでした。)
結論としては、サッカー部の同期は今でも大切な仲間であり、入部して本当に良かったと思っています。
マネージャーの仕事は「自分に何が出来るか」とずっと考えて行動していくのが、性格に合っていました。
例えば、
- 雨の日、中練習といって校舎の階段を2人1組のペアになっておんぶしてひたすら上下移動するというメニューがあった。みんなが汗だくだったので、少しでも涼しくなる様にインターバルにあたる階段の踊り場に移動して、うちわでひたすら仰ぐ!
- ゴール練習の時は、座っていても何もないので、遠くに拾いに行く人が減ってシュート回数増やせるようにと一緒になって球拾い!(インサイドキックが3年間でやたら上達)
- 雨の中、自主練しているメンバーがいたので、部室にタオルを置いておく
- みんながアップ後、脱ぎ捨てる部活のジャージが同じような色形しているので、着る時分かりやすいように名前が見えるように畳んでおく
などです。
みんなの練習や試合をみるのが楽しかったり、試合に勝ったり負けたりいろんな感情を分かち合えたり、今では良い思い出です。
1つ目のキャリア(民間インフラ企業)〜2つ目のキャリア(公務員)を目指すまで
就職後、初めての業務
さて、ここからはずっと憧れていた企業に入ったあとのお話です。
4月からいよいよ会社が始まる!という直前の3月に、東日本大震災がありました。
そのことがきっかけで、会社の状況は一変します。
初めて配属された部署は、「電気料金が未払いのお客様に対して督促する業務」を行う部署でした。
具体的には、支払い期日を待って欲しい方、電気を止められた後の方に対する電話対応と、(未払いのお客様に対して督促状を投函するのですが)検針日に合わせて投函日を振り分ける業務でした。
電話はずっと鳴り響いていて、
「こんなに迷惑かけているのに、督促してくるな!」「払えない!」「ふざけるな!」怒号を浴びせられる毎日でした。
当時18歳だった私は「震災前の会社を知らないのに、なんでそのことを含めて怒られたり、辛辣な言葉を浴びせられたりしないといけないの」と感じました。
毎日が辛く、電話に出るのが怖かったです。
ついには、配属後4ヶ月目(夏頃)に、急性扁桃炎とストレスで声が出なくなってしまいました。
2週間くらいドクターストップで会社をお休みになりました。
仕事は辛かったものの、ラッキーなことに、職場の人間関係は恵まれていました。
また、ずっと入りたかった企業ということもあり、もう少し粘りたいとも思いました。
そのためのステップとして「何でこんなこと私が言われないといけないの」と思うことを辞めようと思いました。
当たり前かもしれないのですが、お客様からして見れば「その会社の社員」であり、「その社員の人となり」は関係はないと思ったためです。
徐々にではありますが、学生と社会人の違いを身に染みて感じるようになったのだと思います。
どうやったら、そのお客様の問題を解決できるか、丁寧な対応が出来るか(少しでも不快な気持ちにさせなくて済むか)と考えるようになりました。
具体的には、電話対応から変えようと思いました。
電話対応が上手な先輩を見ていると、
- フレーズの使い方が丁寧(聞いていて心地が良い)
- 断る時はキッパリ、ハッキリ断っている(クッション言葉は使うものの、曖昧な言葉は使わない)
- 可能な限り代替案を出している、相手が困らないように配慮している(現在は〇〇の状況だが、△△であれば可能だがいかがかといった内容)
上手な人のフレーズをメモして、実践して、頭を使わなくても自然に言えるくらい練習しました。また、家では、秘書検定を通して学ぼうと勉強していました。
だんだんと、初めはお客様が興奮して、怒っていたとしても「話を聞いてくれる」「気持ちはわかってくれている」「できない部分はあるけれど、努力しようとしてくれている」というこちら側の気持ちが伝わるのか、最後には感謝されて、電話が終わることが増えるようになりました。
怖くてたまらなかった電話対応も、だんだんとコツが掴めてきて、どの部署に行っても大丈夫と武器になった気がしました。
そこからなぜ、公務員に転職しようと思ったか
結論から言うと、自分がやりたかった仕事がなくなってしまったからです。
IHクッキングヒーターや、オール電化など、電気の良さを広める業務にずっと携わりたかったのですが、計画停電や、賠償問題など、当時はそれどころではなくなりました。
就職して半年くらいで、当時、いつか行きたかった部署が全て廃止になってしまったことを覚えています。
正直、毎年年末に記入する「希望する部署」が何も書けないと感じていました。
「将来このままでいいのかなあ」と思っていた時、たまたまサッカー部のOB会があり、現在公務員をしている先輩から話を聞くことができました。
公務員の仕事には、地域の人とその町の良さを広める業務があったり、イベントを企画して運営したり、私がやってみたかった仕事がそこにはある!と感じました。
本を買って、独学で公務員試験の勉強を始めました。
勉強を始めた時期は、民間インフラ企業に勤めて3年目に差し掛かるところでした。
公務員試験と同じ時期に、初めての異動辞令と、第二種電気工事士の試験が重なり、大変だったのを覚えています。
しかし、大変だからと言って、どれか手を抜くのは、自分に負けたような悔しい気がして、必死に取り組んでいました。(負けず嫌いですね。笑)
そして、運よく公務員試験に合格することができました。
以上が、1つ目のキャリア(民間インフラ企業)〜2つ目のキャリア(公務員)を目指すまでのお話しでした。
公務員からプログラマーになろうと決意した理由は、こちらの記事をご覧ください。
振り返ってみて
その時その時は、苦しかったり、悩んでいたりするのですが、必死にもがいていたり、前に進もうとしていると、ある時振り返った時に「成長している自分」がいて、その成長体験をまた味わいたい!という思いから、前に進み続けたい気持ちが強いのかもしれません。
あとは、素直に「感謝」されるとめちゃくちゃ嬉しいですよね。
少しでも「役に立てた」と感じた時、やりがいを非常に感じます。
また、大変な中でも、その中から意義とか意味を見つけ出そうとする癖があります。
自分が納得できる意義や意味を見つけられたら、そのためのプロセスを考えて、コツコツ取り組んだら、いつか叶うかもしれないと本気で思っています。
たまに自分ごとに捉えすぎて(責任を感じすぎて)、押し潰されそうになることがありますが、社会人10年目となり、昔に比べて息抜きが上手くなったと思います(笑)
息抜きは、大したことじゃありませんが、夫と散歩に出かけることや、運動すること、本を読むこと、旅行に出かけることです。
今はコロナで、旅行に行けないのが、心苦しいですね(笑)
以上です。
長くなってしまいましたが、読んでいただいてありがとうございました!